日本では岐阜デルタが、中世に大垣近辺の輪中化が行われて以来、だんだん輪中の累積という形で開拓されていく。
とくに十八世紀になって宝暦の治水(木曽川の水利秩序を完成)を行う。
明治になってオランダ人のデレーケが現在のような三川分離をやって水利秩序を完成していく形でデルタ開拓がなされていく。
越後、佐賀も同じようなデルタ開拓をやっていくが、これはおおむね近世初期のことである。
越後の場合は直江山城守(直江堤ということで功績がある)、佐賀の場合は成富兵庫という治水の天才が出てきて治水秩序を完成し工学的なデルタ開拓を進めていく。
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