わたしは、フジフーズ販売の臨時株主総会を開き、社長を辞任、退社、株式会社BPAタンクを創立、企業化の第一歩をふみだした。
とはいうものの、問題は山積していた。
資金、人材、工場設置、機械装置、市場性すべてが《未知》である。
わたしは、自分の《主観》だけをたよりに、約一億円の資金を借り入れ、まだ開発途中の実験機をこれも借りた工場に設置して、製品も機械もまるで未完成のままで、とにかくやみくもに船出した。
しかし、この時点でつくりえた玄米の粉では、パンや麺の原料としてはコスト高だし、また粉として製品の精度に欠けるところがあったので、この粉をさらに穎粒にして飲む玄米《ミンネ・リオレ》というブランドで発売することにしたのである。
コメントする