秘密交渉が露見すれば一関税化拒否という政府方針に背いた行為であり、国会等で激しい非難、糾弾の的となる。
公式の場で聞かれれば、水面下の交渉そのものを否定し、「関税化には応じられない」との政府見解を繰り返すしかない。
孤立した状況下で農水省の苦悩は続いていた。
1993年に米国のクリントン政権が誕生する。
これを契機に難航を続けていたウルグアイ・ラウンドが最終合意に向けて動き出す。
日本もウルグアイ・ラウンドを失敗させるわけにはいかず、その合意に向けてコメ問題の政治決断を迫られる事態となってきた。
折から日本では自由民主党の長期政権が倒れ、それまでの野党が連立して作った細川政権がウルグアイ・ラウンドの最終交渉に臨んでいた。
残留農薬検査
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