サツマイモ その1(残留農薬検査)

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サツマイモは、江戸時代に飢饅から人々を救うために薩摩藩で広くつくられた。

当時、琉球から入ってきたのでリュウキュウイモと呼ばれたが、そのうち薩摩藩が本家になってしまい、琉球にはサトウキビをつくらせたという。

八代将軍吉宗のもと、青木昆陽がサツマイモ御用係となり、小石川養生所・薬園と馬加村(千葉市)などに試作地をつくり、栽培・普及に力を入れた。

現在、千葉市幕張に昆陽神社がある。

食料が不足した第二次大戦直後、いま六〇代の人たちはサツマイモづくりを手伝い、サツマイモの若い茎まで食べた記憶がある。

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このページは、-が2013年9月 2日 09:40に書いたブログ記事です。

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