食うことの意味 その1(残留農薬検査)

| コメント(0)
たまたま私どもの若い研究員を低開発国に派遣しております。

彼らは研究者ですから、食えないということは意識としてわかっているわけですが、奥さんを連れて行く。

若い東京生まれ、東京育ちの奥さんを連れて、フィリピンへ行ったのがいたのですが、ルソンへ行きまして、食えない子供たちがごろごろいるのにショックを受けて帰ってきた。

そういう人がいるということがわからなかったわけです。

いくらテレビで映されたにしろ、写真でみていたにしろ、食えない子供達に手を出して寄ってこられたというので、大変ショックを受けて帰ってきたということがありますから、食うことの意味ということを、これから考えていかなければいけない時代になってくるかもしれません。

コメントする

このブログ記事について

このページは、-が2014年8月 7日 16:15に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「時間に関する合理性(残留農薬検査)」です。

次のブログ記事は「食うことの意味 その2(残留農薬検査)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。