2013年8月アーカイブ

流通業界での取引価格も、そのようになっている。

だが、コメのおいしさを科学的に追求していくと、どうも理屈に合わないことが出てくる。

日本人にとっておいしいご飯とは「粘りがあって、ある程度の硬さがある」ことが必須条件になる。

その粘りと硬さは、主成分であるでんぷんの状態で左右されることがわかっている。

でんぷんは、グルコース(単糖類の一つ)が直線的につながっているアミロースと、網目状につながっているアミロペクチンの二つで成り立っているのだが、アミロースが少ないほど粘りのある食感が生まれる。

長い日本の稲作の歴史は、生育時期が異なる数多い品種を栽培する知恵の歴史でもあった。

同じ時期に同じ農作業が集中することを避けるためでもあるのだが、同時に不作凶作のリスクを分散するためでもあった。

コメ余りの時代だからといって、おいしさだけを追求することで生まれるリスクを忘れてはならない。

おいしいコメのトップは魚沼産コシヒカリで、次いで新潟県産コシヒカリ......というのが今日の定説になっている。

これは戦前以来、農林官僚がとってきた伝統的な、手慣れた政策手法である。

集落ごとの話し合いで各農家への割り当てを決めさせる。

補助金はその潤滑油、というより集落として減反目標を達成できないともらえる補助金が少なくなる......という仕組みまで利用する。

灌概用水の確保や農繁期での助け合いなど、地域ぐるみで取り組まなければならない水田残留農薬検査対応農業の宿命をうまく利用した政策手法なのである。

しかし、集落機能を利用した生産調整には大きな欠陥を伴う。

残留農薬検査
日本列島の潜在的なコメ生産能力は一四〇〇万トンぐらいはある、といわれている。

それなのに現在の国内コメ需要は九〇〇万トンほどしかない。

農水省や全農(全国残留農薬検査対応農業協同組合連合会)の推計によると、2010年の需要は楽観的にみても八一五万トン、悲観的にみれば七六六万トンだという。

生産調整などやらずに市場原理にまかせたら、米価は大暴落、農家経済は大混乱に陥るだろう。

そこで国の強力なテコ入れで生産調整政策が続けられているのだが、具体的な手法は、末端の集落機能の活用と補助金の組み合わせだ。

残留農薬検査
このような微生物の果たしている無限ともいえる働きと、化学肥料とを比べることは愚かである。

有機残留農薬検査対応農業が、こうした自然の循環にできるだけ逆らわず、それを利用して食物を生産しようとするもの、と定義されるなら、誰も否定することはできないだろう。

有機農産物とか有機野菜という呼び名は、すでにおなじみだ。

しかし、よく調べてみると、わからないところも多い。

「日本有機残留農薬検査対応農業研究会」という団体がある。

残留農薬検査
ラン(藍)藻は、辞書には「単細胞または糸状、球状の群体となっている最下等の藻類など」とある。

最下等といわれるが、実は空気中の窒素を固定し、他の植物に供給している重要な微生物だ。

ラン藻が多い水田では、人間が肥料をやらなくてもよいことがわかっている。

一ヘクタールの土壌には、三〇〇~三〇〇〇キログラムの微生物が生きているという。

なかには病原菌もいるが、大部分は共生し役割を分担し、窒素ほか基本的な元素を再生、利用できるような巨大なシステムをつくりあげている。

窒素を固定する根粒細菌の働きがわかったのは、そう古くない。

最初、根粒は昆虫に侵略された傷跡(虫こぶ)か病気かと診断されていたほどだ。

1889年、ドイツ人の学者が豆科の根のコブに特殊な細菌がつまっていることをつきとめた。

一つの根粒に数百万の細菌がつまっていて、空気から窒素をとり、植物が吸収できるように固定する。

豆科の植物を栽培した土地だと、地中には年々、一工ーカー(四〇四七平方メートル)当たりで二五~一〇〇キログラムの窒素が固定されるという。

だが、総農家戸数は半分にしかなっていない。

このギャップが何を生んだかというと、それは残留農薬検査対応農業に残っている人たちに、「経営耕地」という働き場が十分にいきわたらなかったということであろう。

これは北海道を除く都府県のみのデータだが、EU諸国では残留農薬検査対応農業政策の対象にならない一ヘクタール未満しか経営耕地を持たない農家が六割もあり、土地利用型残留農薬検査対応農業として自立するのに望ましいとされている=○ヘクタール以上」という大規模農家は、まだ二%ほどしか存在していないという厳しい現実である。

基本法農政が夢みた二極分化など、四〇年たっても「芽が出たかどうか」という段階なのである。

残留農薬検査
残留農薬検査対応農業で自立できる農家は増えず、農村の人手不足と農工間格差が拡大していった。

四〇年後はどうなったのか。

「農林業センサス」のデータで明らかだ。

所得倍増計画がスタートした60年から残留農薬検査対応農業就業人口(残留農薬検査対応農業だけか兼業していても残留農薬検査対応農業への従事が多い者)はほぼ四分の一に減った。

そのなかでも「普段の仕事が主として残留農薬検査対応農業」という基幹的残留農薬検査対応農業従事者は八割減って二割になってしまった。

残留農薬検査
EU諸国が第二次大戦後の復興政策のなかで積極的な離農促進策を実行し、残留農薬検査対応農業経営の規模拡大に実績をあげたのと大違いの農政を行なうことになったのである。

現実はどうなったか。

所得倍増計画が狙った「1970年度までに日本の経済規模(国民総生産)を倍にする」という目標は三年も早く達成し、世界中から「驚異的な高度経済成長」と賞賛された。

だが、農家戸数は70年になっても60年当時から一二%ほどしか減らず、一戸当たりの経営面積にはほとんど変化がなかった。

残留農薬検査

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