2014年3月アーカイブ

ミカンをはじめとする柑橘類には、さまざまな薬剤による表面のワックス処理がなされている。

呼吸作用を抑えて保存性を高めるというのが第一目的であるらしい。

しかし、消費者にとって実質的には、無ワックスのものと日持ちは変わらない。

ほんのわずかに水分量の減少がおさえられ、しおれにくくなるというだけのことだ。

どちらも一般の防虫防除に使われている農薬ほどではないが、人体にまったく無害とはいえない。

エチレンは変化することによって、微量の発ガン物質ができてしまうことさえあるのだ。

しかも、農薬残留基準にはなんの規定もない。

じつに不自然きわまりないオーバー・デコレーションなのである。

しかし、皮が自然にオレンジ色になるのを待っていたら、高値で売れるここぞという出荷時期を逃してしまう。

そこで、この緑色を消す方法がある。

植物ホルモン・エチレンの作用を利用するもので、昭和四十年代から普及しているものだ。

五〇〇ppmぐらいのエチレンを充満させた専用倉庫やビニール・ハウスに、収穫、または貯蔵してあったミカンをだいたいひと晩入れておく。

するとエチレンの作用で呼吸が活発になり、葉緑素は消えてしまう。

翌朝には、みごとなオレンジ色のミカンができあがりというわけだ。

毎年九月に出はじめて、翌年の四月まで大量に出荷されている。

生産しているのは、もっぱら西南暖地。

静岡県から近畿、山陽、九州にいたるまでの太平洋沿岸の暖かい地域である。

ウンシュウミカンを西南暖地で栽培すると、大きな問題が起きる。

中身が早く熟してしまうのだ。

中身がちょうどよく熟したタイミングにあわせて収穫すると、外の皮は葉緑素の緑色が残っていて、それこそ動物のパンダのような感じ。

そのさまは、気味が悪いくらいである。

パラチオンは、昭和四十年代半ばに使用禁止になっているが、さまざまな野菜に同様の方法で有機リン剤が使われていた。

そして、そのまま人間の体内に入っていった。

いったい、何千何万の人が、慢性毒性、催奇形性などの悪影響を受けたことか......。

現在では、こうした非常に危険な着色法は行なわれていないという。

しかし、ホルモンなどを利用した着色法はまだまだ存在している。

たとえば、ひと昔前まで冬の果実の代表選手だったウンシュウミカン。

よく食べるあのミカンである。

日本だけの果物だ。

野菜の産地間競争が激しくなってきて、いかに他産地よりも流通機構にウケるか、ということが、重要な販売戦略となった。

だから各産地では、野菜・果物の外観を農薬処理によって、綺麗にすることに腐心してきた。

あきれかえったものである。

たとえば、ナス。

多くの産地では、収穫後のナスを有機リン剤のパラチオンの水溶液にザブンと浸していた。

こうすると、ナスの紫色がいっそう鮮やかになったからだ。

また、メロンは、収穫時期が近づくころ、有機リン剤で何度も拭くと、表面の網目模様がじつに鮮やかに出た。

恐ろしい話である。

なにしろ、大気中に放出される農薬にはなにも規制がない。

研究センターが昭和六〇年から一年間にわたり村内一五キロメートル四方の各地点で調査したところ、すべての地点で農薬ガスが検出されたのである。

当時、嬬恋村では年間およそ一〇億円の農薬が使われていた。

連作による病気多発のため、化学肥料と農薬づけ農法であった。

特に、PCNB(ペンタクロルニトロベンゼン)をキャベツの根コブ病、トマトなどの苗の立ち枯れ病の予防に大量使用していた。

野菜産地における農薬の大気汚染というものは、いったいどれほどのものなのだろうか。

研究センターの調査・研究によると、もう畑は野菜が育つ場、それを見て人がこころ安らぐ場、都市に緑や酸素を供給する場......などでもなんでもないことがわかる。

悲しいことに、大気汚染の元凶でしかないことが、一目瞭然である。

たとえば、群馬県の嬬恋村。

軽井沢からクルマで三〇分、浅間山の裾野に広がる高原野菜の産地である。

ここではまたコンニャクやキャベツ栽培が盛んだが、そうした畑に散布される農薬は、驚いたことに村じゅうの大気を汚染してしまっているのだ。

そう言うと、花井氏は、残留農薬を検査中の分析機械のほうに小走りに駆けていった。

農薬汚染に気をもむ各地からの依頼を受け、大気中の農薬量を分析しているのである。

すでに南極大陸でも、DDT、BHCが検出されている。

農薬による環境汚染は、産地のみならず地球規模で広がっている。

害が見えにくくなってはいるものの、農薬は確実に、ボクたちを脅かしているのだ。

害の受け方は、人によって一千倍、一万倍もの開きがあるのだ。

「致死量の一万分の一」といっても、農薬の影響を受けやすい人にとっては、大変な濃度なのである。

致死量に近い場合もありうる。

「発ガン性のある農薬がたくさんありますね。

でも、いまの医学では、たとえガンになっても、その原因が何であったのか、まったく証明のしようがありません。

このままいまの農薬の状況を放置していていいわけがありません」

また使用量の少なかった四一年、四四年の翌年は、近視の児童が減っているというのである。

そして、近視の児童数増減のその割合は、徳島県内の各地の小中学校でも共通しているのだ。

たんなる偶然や検診誤差、集計上の誤差でないことは明らかだ。

石川先生は、こう言っている。

「有機リン剤のこうした影響は、全国的な規模で起こっています。

都会に住む子どもたちとて、同様の影響を受けているでしょう......」

また、石川先生は、こうした現象を動物実験でも確かめている。

調査に当たったのは、徳島大学の三井幸彦教授と田村修助教授たちであった。

徳島県内の小中学生四万人を対象に、綿密なサンプリングが行なわれた。

それによると、近視になった年ごとの「有機リン剤の使用量」と「近視になった児童数」がほぼピタリと正比例してしまうのである。

昭和四三年、そして四七年は、徳島県の場合、特に有機リン剤の使用量が多かった。

すると、その影響を受けて、翌年の調査では近視の児童が異常なまでに増えていた。

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