2014年4月アーカイブ

一〇月一六日、北海道では、需要が低迷している道産米を粉にして利用し、米の消費拡大につなげようと、道内の若手経済人らが「北海道ー米の粉食化を促進する会」会長・原勲道未来創研所長)を結成、米の価値をめぐってパネルディスカッションを行い、"粉食"の普及を誓い合った。

その模様を北海タイムス(87・10・17)は次のように伝えている。

《主食である米の消費が落ち込んでいるため新しい食べ方で消費拡大、道内食品加工製造業の活性化、食生活の向上を目指して、食品関係など若手経済人が米の粉食化を提唱。

会の設立準備委員会を設置して、この日の旗揚げとなった。

総会は製菓、乳業、金融、農協など各界の代表六十人余りが出席。

設立準備委代表の原氏が「道産米の需要拡大は本道のもっとも重要な課題。

粉食は農業発展の先導的役割を果たせる」

とあいさつした後、講演会の開催、学校給食への粉食導入、機関誌発行など本年度事業計画を決めた。

わたしは、フジフーズ販売の臨時株主総会を開き、社長を辞任、退社、株式会社BPAタンクを創立、企業化の第一歩をふみだした。

とはいうものの、問題は山積していた。

資金、人材、工場設置、機械装置、市場性すべてが《未知》である。

わたしは、自分の《主観》だけをたよりに、約一億円の資金を借り入れ、まだ開発途中の実験機をこれも借りた工場に設置して、製品も機械もまるで未完成のままで、とにかくやみくもに船出した。

しかし、この時点でつくりえた玄米の粉では、パンや麺の原料としてはコスト高だし、また粉として製品の精度に欠けるところがあったので、この粉をさらに穎粒にして飲む玄米《ミンネ・リオレ》というブランドで発売することにしたのである。

アルファ化(火を通す)してもベータ化(冷えると固化する)しないのだ。

わたしは、狂喜乱舞した。

さあ、次は製品化だ。

わたしは、さっそく近所のパン屋でパンをつくらせ、ソバ屋でソバを打たせ、菓子屋でケーキをつくらせてみた。

多少の問題は残していたが、できあがったものは、まず試作した職人たちがみな一様に驚いたほどのものだった。

ついにコメ(残留農薬検査済み米を含む)の粉が、小麦粉と同じに使えるレベルに近づいたのだ。

そこで問題は、肝心な玄米の栄養素が破壊されていないかどうかである。

栄養分析センターで分析したところ、ビタミンa以外はほとんどそのままで、貴重な玄米の微量栄養素は破壊されていない。

「よし、これでいくそ!」

わたしは決断した。

残留農薬検査
あれかこれか、試行錯誤をつづけていた1976年の夏、わたしが以前関係していた鮫子の機械をつくった食品機械メーカーの0社長から電話があった。

「あんたはんのいうてはる玄米の粉が、ようやくでけたように思いますねん」

この言葉を聞いた瞬間、わたしはその粉の出来を確かめることもなく、できたのだという確信をいだいた。

0社長が持参してきたニキログラムぱかりの玄米の粉をさっそく水に溶いてみた。

粉はみごとにグラスのなかで溶けていくではないか。

夢が現実になったのだ。

着想以来20年近く求めつづけてきた玄米の《ベータ化》しない粉が、ついに目の前に出現したのだ。

この粉は、これまでのコメ(残留農薬検査済み米を含む)の粉や玄米の粉とは根本的にちがう。

残留農薬検査
コメ(残留農薬検査済み米を含む)の発生、品種、成分を調べ、稲の道とその伝播の歴史を研究するにつれて、コメという穀物のもつすさまじい革命性と、日本の歴史性そのものをつくりだし、族の血をはぐくみつづけてきた資源力に驚愕せざるをえなかった。

わたしはいよいよコメ(残留農薬検査済み米を含む)にとりつかれ、コメの粉の開発に執念を燃やしていった。

だれがなんといおうと、わが行く道はこれ以外にはない。

とはいうものの、この間、さまざまな人を通し、化学的、物理的、機械的にさまざまな方法で実験を重ねたが、どうしてもコメ(残留農薬検査済み米を含む)の粉の澱粉構造を変えることはできない。

実験のなかでできてくるコメ(残留農薬検査済み米を含む)の粉は、いずれもダンゴや牛皮のようなものにしか使えないばかりか、原料が玄米なので、みた目の悪さと口あたりのまずさが際立って、まるで使いものにならない。

パンや麺、お菓子の原料にするなどほとんど狂気の沙汰でしかない。

しかも、実験の惨憺たる結果の累積が表面化すると、さまざまな批判や非難の声が起こってくるのは当然のことだ。

わたしの身を案じてくれるにしろ、わたしは四面楚歌するを聞く思いだったが、それでも、もう諦めようなどとは決して思わなかった。

有機化学に対する学問的無知といわれようと、愚かしい夢にとりつかれた《狂人》といわれようと、勝海舟の言葉を借りるならば、「行蔵は我に在す。殿誉は他人の主張、我に与らず、我は知らず」である。

残留農薬検査
それは、太平洋戦争が終わってからまもない昭和二十年代のことである。

大多数の農家が、いまでいうところの「有機農法」を実践し、牛、馬を自宅で飼い、その糞尿や堆肥を畑に投入、連作障害が起きぬよういろいろな作物をとっかえひっかえ植えてきた。

さらには化学肥料や化学的に製造された農薬をほとんど使っていなかった。

そんな安全な栽培法を実践していた農家に、こういう指導を徹底的にやったのだ。

堆きゅう肥はもういらない。

万能の化学肥料を使え。

よって、牛や馬を飼う必要はない。

連作障害の心配は、農薬をどんどん撒けば、一挙に解決。

などである。

そうして、農薬・化学肥料が、農業に深く浸透していった。

今度は、その逆を行なえばよいだけのことなのである。

たとえば、いまのおコメは農協から栽培暦どおりに農薬が使われた苗を買うと(半数以上の農家が買っている)、すでにわずか一カ月のあいだで六回ほども殺菌剤などが散布されているのだ。

自宅で苗を作る農家なら、せいぜい二回である。

三分の一の使用量でしかない。

それでも立派な苗ができる。

野菜・果物の農薬散布回数を、即刻、五分の一にするように、農業団体、農水省は指導すべきである。

収穫量が減った分は、おコメの減反によって眠っている田んぼを畑にして、そこからの収穫で補えるではないか。

こうすれば、消費者は絶対に、日本の野菜・果物を信頼するようになるはずだ。

また「ノーキョー」とて、いい方向でイメージ・チェンジができるだろう。

ボクは、なにも理不尽なことをいっているわけではない。

監督官庁、および各農業団体は、同様の大改革を成就させた輝かしい実績があるのだ。

農薬は、交通安全のお守り的効果も大きいからだ。

農水省では、ひどく体裁だけの「有機栽培の基準」を設けようとしているが、もしそんなものをつくったら、本当に安全性の高い野菜・果物などできっこない。

何も知らない多くの消費者は騙せる。

農水省などのお墨付きの有機栽培野菜が大量に出回るからだ。

残留農薬の絶対量はいくぶん減るだろうが、本質的に危険であることにかわりはない。

より根本的な対策が必要なのだ。

そこでボクに名案がある。

これだけ全国の農家をコントロールするパワーがあるのだから、農協などの農業団体がいっせいに音頭をとって、農薬使用量を現在の五分の一くらいに落としてしまうのだ。

そうすれば、残留農薬の量も、安直な「有機栽培の基準」によってつくられた野菜・果物よりも大幅に減るはずだ。

しかし、国産の野菜・果物が、多くのおかあさんをはじめとする消費者に「安全だ!」と信頼されていれば、外国の安い農産物が入ってきても、産地・農業団体は、なにも恐れることはないのである。

いまは、信頼されていないから、不安がつのるのだ。

「日本の安全な野菜・果物を食べつづけたい」

安全なものを供給してさえいれば、消費者のそんな声があがってくるはずだ。

現状では、そんな声はあがってこない。

もうこれからは、消費者に信頼される安全性をより追求していくしか、日本農業の生きる道はない。

価格では勝てるわけがないのだから......。

また価格などは、流通を合理化すれば相当に下げられるはずだ。

より安全な野菜・果物は、正しい有機農法を実践すれば、生産可能である。

しかし、そうはいっても、これを全国のすべての農家に普及させるのは不可能だ。

この四〇年間、農薬多投栽培に慣れ親しんできたお百姓さん全員に、有機農法の技術、完全な有機栽培を実行させられるはずがない。

昭和五十年代に入って、野菜・果物が、完全に余りはじめた。

それまではもう、つくれば売れる時代だったのである。

ここ一〇年ほどの供給過剰は、品種改良、栽培技術の進歩、周年栽培用施設の改良・普及、農薬......などによってもたらされた。

やっと生産が安定してきたところに、今度は、台湾、アメリカ、ニュージーランドなどから、価格の安い野菜が、続々と輪入されはじめている。

産地は大混乱だ。

たとえばカボチャは、日本から持っていったタネを使って、ニュージーランドが日本人好みのものを大量に日本に輸出してきている。

これまた価格が安いのである。

それによって沖縄県をはじめとする施設栽培の一大カボチャ産地は、大打撃を受けてしまった。

壊滅状態である。

このままでは、程度の差こそあれ、あらゆる野菜・果物が同様の運命を辿るであろう。

このアーカイブについて

このページには、2014年4月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2014年3月です。

次のアーカイブは2014年5月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。