2014年8月アーカイブ

増加する人口の中で、これからお年寄りの数はものすごくふえていくわけでありますが、このことは、もうすでに新聞や雑誌などでいろいろとお聞き及びのことと思いますので、きょうは、高齢化問題についてあまりくわしくお話しする必要はないと思います。

しかし、戦前の過剰人口の問題をうまく解決できた日本として、これから先来世紀にかけて、人口の中でお年寄りの数が非常にふえてくるということについては、十分な理解が必要ではないかと思います。

せっかく長寿になって、高齢まで生きておられる方が多くなってきたわけですから、それらの方々が満足して生きていかれるような形で、日本の社会をつくり上げていく必要があります。

今、あまりに多くの人が、高齢化社会の問題についてお話しいたしますために、とかく、社会保障とか、社会福祉がすべて高齢者のためのものとして理解されるのでありますが、それはそれとして結構なことではありますけれども、私は、先ほども申しましたとおり、子供の数が減り過ぎてきたということが、むしろ心配でありまして、あまりお年寄りのことばかり気にするために、子供を産み盛りの若い人たちの生活がおろそかになり、その人たちに重い税金などの負担がかかり過ぎて、ますます子供を産むことができなくなるというのでは、困ったことだと思っています。

しかし、先ほどからしばしばいうように、低所得国だけに限っていえぼ、依然として停滞的にとどまっているというのが一つの状況です。

これは1970年代での計算ですが、国全体の経済の成長力が高いほど、国民の栄養水準の向上が明確にあらわれていることを示しています。

ここに書いてありますように、「DES」という言葉があります。

これは、食物熱量供給量、ダイエタリー・エナジー・サプライの略ですけれども、このDESを経済の成長率と絡めてみていくと、開発途上国九〇ヵ国を調べてみますと、1人当たりのGDP(国内総生産。国民総生産〔GNP〕から海外からの純所得を差し引いたもの)の伸び率が高い国のほうがDESが増加している。

つまり、一人当たりの栄養水準が改善されている。

開発途上国は、一般的にこの状況からいって、消費に対して不足をしておりますから、全般的に生産拡大の努力をしている。

若干の国、たとえば、韓国とかマレーシアという国はかならずしもそうではないわけですけれども、全般的にいえばこういう形をとっている。

これが現在の状況です。

そして、世界全体からいうと、先進国の生産の伸び率よりも、最近は開発途上国の生産の伸び率のほうが大きく、今までは世界全体の生産量の半分以上は先進国が生産をしていたわけですが、三年以降は開発途上国の生産量の方が先進国の生産量を上回っているわけです。

したがって、開発途上国全体とすればその生産力の伸び方は大きいということがいえると思います。

そのやり方としては、輸入障壁をできるだけ減らしていくということ、それから、輸出補助金あるいは国内的な措置も含めて補助金をできるだけ制限していく。

とくに輸出補助金をやめて、国際的な競争を正常なものにしていく、これが趣旨ですね。

それから、輸入・輸出すべて、貿易関係に関する国内的な保護措置も、輸出に影響を与えるような保護措置は、ガットのルールの中できちんと整理をしていくようにしよう。

こういうことになっているわけです。

そういうことでもっていっそうの自由化を進めるというのが閣僚宣言の中身になっています。

要するに、1980年に入って急速にエスカレートしてきた輸出競争を抑えなければならない。

アメリカとかECとは若干違った傾向をもっているわけですけれども、いずれにしましても、主要な輸出国ー日本は輸入国ですからちょっと問題は別になりますけれどもーでの価格関係の財政負担が非常にふえてきているわけです。

そういうことが全体の財政を圧迫するということになっているわけです。

これがウルグアイ・ラウンドの一つの背景になっています。

1986年9月にウルグアイのプンタデルエステというところでガットの関係各国の閣僚の集まりがあって、そこでウルグアイ・ラウンドが発足するということが宣言されたわけですが、そのときの閣僚の宣言の中に、農業問題については次のような言葉が書かれています。

ひと言でいえば、いっそうの自由化に努めるのだということが述べられているわけです。

これからの二一世紀の食糧問題もまたそういう意味で、現在の延長線上にはもちろんあるのかもしれませんけれども、そこに新しい性格が加わると考えてもよろしいのではないかと思います。

きょうお話しする内容が果たして、皆さん方が将来の世界の平和ということを考えていく場合にどのようにお役に立つかよくわかりませんけれども、多少なりとも、将来を見通した上で物を考えていくということにお役に立てれば幸いかと思っております。

私、今大学で農業開発論とか国際経済学、あるいは農産物貿易論、食糧経済学などの講義をしておりますけれども、そこで私が常々考えているのは、現実を十分に正しく理解しておくということ、これは断片的な一局面だけを理解するのではなくて、全体の中でそれがどういう状況になるのかということを把握するということが非常に大事なことではないかということです。

そのような意味で、きょうの話も、一つの局面ではなくて全体をみるということのためにお役に立つような話し方をしたいと思っております。

ただいまご紹介いただきました紙谷でございます。

青年平和講座ということで、若い皆さん方に私の専門としている分野についてお話しして、少しでも皆さん方がいろいろお考えになるのに当たっての参考にしていただければ幸いだと存じております。

皆さん方は今まで、平和講座でいろいろなことを勉強されてきたのだと思いますが、今日の話題である世界の食糧需給の問題は、ある意味ではなかなか解決のつかない、永遠の問題といってもあるいは言い過ぎではないのかもしれません。

しかし、時代とともにその内容がかなり違っており、食糧の需給を人口と食糧の生産の競争というような形で単純に論ずるわけにいかない問題ではないかと思います。

1970年代、あるいは60年代にはその時代の問題がありましたし、1980年代にはまたその時代を背景にした、違った性質の問題が食糧問題という形であらわれていると考えます。

ここで一つ問題なのは、われわれが育った時代はとにかくカロリー、あるいはたんぱく質という形で、栄養的、生理的な二ーズを満たすということが先だった。

今の皆さんはそうではないわけです。

そんなものは当たり前なのです。

そこにあるのは何かというと、ブランドであります。

要するに記号であります。

そういうものがないと食べない。

一番端的なのは、包装紙がないと食べないという、非常に不思議なことが起こっておりまして、包装紙のよしあしというのが、食べ物の中身を決めます。

もっと端的なのは、この間青森へ行きましたら、青森のリンゴの生産残留農薬検査業者がいっておりました。

「先生、そんなことをいったって、リンゴというのは皮をつくればいいんですよ」と。

確かにそうです。

見ばえさえよければいいわけですから。

中身なんかどうでもいいわけです。

残留農薬検査
たまたま私どもの若い研究員を低開発国に派遣しております。

彼らは研究者ですから、食えないということは意識としてわかっているわけですが、奥さんを連れて行く。

若い東京生まれ、東京育ちの奥さんを連れて、フィリピンへ行ったのがいたのですが、ルソンへ行きまして、食えない子供たちがごろごろいるのにショックを受けて帰ってきた。

そういう人がいるということがわからなかったわけです。

いくらテレビで映されたにしろ、写真でみていたにしろ、食えない子供達に手を出して寄ってこられたというので、大変ショックを受けて帰ってきたということがありますから、食うことの意味ということを、これから考えていかなければいけない時代になってくるかもしれません。

もちろん、この国民経済的な視点で物をいう方の中には、一方的に効率性とか、生産性の観点からのみわが国の食料供給システムを問題とする人がおります。

しかし、それは間違っている、非常に部分的なとらえ方でしかないだろう。

効率性というのは、はっきり申しますと、時間に関する合理性でございます。

時間に関する合理性とはどういうことか。

できるだけ時間を使わないで、それで物をつくればいいという発想でございます。

ですから、「安かろう、悪かろう」という発想にもつながるわけでございまして、これは大変危険な、工業の論理の援用であろうと私は思います。

同じことは、生産性についてもいえます。

生産性というのは、分子分母の関係で考えてもらえぼわかります。

たとえば農業における労働生産性などということを軽々に申す人がある。

これは大変問題でございます。

食料の分配機構というのは、皆さん若いですから知りませんが、たとえば戦後間もなく、あるいは現在の南の国々というような問題を考えてみた場合におわかりのとおり、たらふく食ってーたとえぼかつてのフランスのルイ一四世ではないですけれども、のどへ手を入れて吐いて、さらにまた食べたという民族がいるかと思うと、一方にはまったく食べられない、飢餓線上にいる人々がいるというのが分配なわけです。

これは大変難しい問題を含んでおります。

やはり、安全であってかつ安定的に供給するということが必要だ。

しかる後に、やはり安いにこしたことはないということで、私は、三つの「安」というもののプライオリティーもこの順番で、一番高いのが「安全」、二番目が「安定」、三番目が「安価」ということになるだろうと思います。

これが私がいうところの国民経済的な視点というわけでございます。

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