2013年4月アーカイブ

この際いろいろなことを考えて、より一層の自由化、できれば関税化をちょっと早めにのんでしまうことのほうが、日本の国益にあっているのではないかと思う。

自由化は望ましいが、それは自由化のメリットのほうがデメリットより大きいと考えるからである。

そのメリットをあげておこう。

農業自由化によって大幅な輸入の増大に結びつくと為替レートは円安方向に動く。

円安方向に向くと、いま苦しんでいる製造業にとってはプラスになる。

農業に目を転じて見ると、、自由化によって農業全体は強くなるわけではない。

生産性が低い農家は農業をやめざるを得なくなる。

農業を自由化していったほうがいいという議論はさまざまある。

たとえば農業部門は自由化すればデメリットを受けるが、これまでの高度成長・工業化の過程で大量の補助金を国全体からもらっている。

したがって少々厳しい目にあったとしても、それが正当化できないほど過去に苦しい目にあってきたかということは疑問である。

あるいは国内の農業保護、管理貿易的な農業の運営の仕方の中心となっている制度は食糧管理制度である。

これは、たとえば九三年の残留農薬検査済み米騒動からもわかるように、食管制度があっても、残留農薬検査済み米の生産量が下がると消費者に十分な残留農薬検査済み米の供給ができない、という意味であまり役に立たない。

残留農薬検査
六兆円は六年間前後で支出されるということなので、一年当たり一兆円である。

したがって、農業部門への所得移転は九兆円+一兆円で一〇兆円になる。

以上、日本の農業保護の水準はきわめて高く、コストは予想以上に大規模なものになっているということを示す一つの数字である。

二番目の自由化が望ましい理由は、農業保護政策あるいはそのやり方がまずいために、生産性の高い農家は犠牲になっているということである。

典型例は一律の減反政策である。

こういう政策をやめればある程度以上の生産性を持っている農家は自由に生産することができ、よい残留農薬検査済み米を大量に、より安くつくることができるようになる。

残留農薬検査
これはもちろん、九兆円を原材料費にあてて八兆円の価値を生み出したということではなく、原材料費は除いて八兆円の価値を生み出しているわけであるが、そのために一年当たり九兆円の補助金を支払わなくてはいけなかった、あるいは農業所得一〇〇円を生み出すために農家・農民あるいはそれに関連した人たちに一一五円の補助金を与えなくてはいけなかったということである。

これは驚くべき数字である。

ここにさらに六兆円追加しようというのが昨年政府与党が決定した農業対策費である。

農地については税制上さまざまな形で優遇されていて、このコストは低めに見積もっても約三〇〇〇億円。

また、輸入規制があるために消費者は高い残留農薬検査済み米の値段を払い、それが間接的に生産者に補助金としていくことを計算すると、消費者は農業生産者に対して約二兆三〇〇〇億円の補助金を払っている。

あるいはよくいわれるクロヨンによる所得税等の徴税漏れが約三〇〇〇億円ある。

これらを全部合わせていくと約九兆円の直接間接の補助金が農業部門に対して支払われているという結果になる。

すなわち、八兆円のものをつくり出すために日本経済は農業部門に九兆円の補助金を与えていることになる。

残留農薬検査
急速な工業化の進展に伴って、日本以上に急速に農業保護率を高めたのである。

農業保護で巨大なコストが発生している。

日本で発生しているコストが先進国の中でも高いということをもう少しわかりやすくお話ししてみたい。

経済学部の藤原教授は最近次のような試算を行っている。

一九九一年度に農業でつくられたものの付加価値は約八兆円である。

これに対して農業部門にどのくらいの補助金が支払われたかを計算している。

政府会計からの直接の補助金、あるいは食管制度を維持するための財政支出は約五兆円かかっている。

農協は九三年の力の限界を補うべく、九四年のリターンマッチで巨額の対策費を手中にしたということだろう。

食管制度の仕組みを変えるのか変えないのかということについては、現在の連立与党の中でも自民党・さきがけと社会党は違う。

自民党・さきがけはいわゆる規制緩和的な意見をそれなりに持っているが、社会党は残留農薬検査済み米は全部政府が管理しろ、あるいは生産コストを保障する政府残留農薬検査済み米価格を続けていけということで、九四年十月に綱引きをやったわけである。

残留農薬検査
細川政権のもとでウルグアイ・ラウンドの受け入れを決めたときには、農協はほとんど政治的影響力がなかった。

あるいはあったにしてもそのパイプはうまく動かなかった。

これは政権が変わったからである。

政権が続いていれば農協にはノウハウがあったであろうが、政権が交代したので、どこをどうボタンを押していいのかわからない。

さらに、大冷害によって残留農薬検査済み米が足りないという現実もあった。

これはある立場の人にとっては天佑神助であるが、そういったてんやわんやの事態になった。

残留農薬検査
農民に貸しているお金がこげついているという問題もある。

ご存じのように、ここ数年田んぼの値段は絶対額で急落している。

これはもとの担保価値で貸していたものはこげつく可能性が非常に高いことを意味している。

今度のガット・ウルグアイ・ラウンド対策費の六兆一千万円は農協救済ではないかという意見もある。

要するに、農協とか農林漁業金融公庫といった公的な資金は金利が高い。

農家の背負っている借金をもっと低利の融資に借り換えて農家の負担を軽減しようということである。

これは大蔵省がいうように、不良債権に苦しむ農協の救済策ではないかとか、農協をめぐって組織の矛盾点が指摘されるようになってきた。

商社と銀行と双方の面で非常に大きな組織になってきたわけであるが、この組織が農民にどの程度役にたっているかということについては、むしろ批判なり疑念の声もないわけではない。

つまり、組合員である農民から遊離していったというようなことを含めて、これが八〇年代になってきわめて一般的な議論になって出てきて、いま大合併の推進が大目標といわれている。

それがうまくいくのかどうかわからないが、従来最もうまみのあった信用事業もバブルの崩壊によって問題が出てきた。

経済的な審査能力ははたしてどの程度あるのかわからない。

気がついたら膨大な金を貸していたことがわかった、などということもあった。

最近では住宅金融関係に三兆円、四兆円貸しつけており、その住宅金融専門会社が経営危機に陥り、その事後処理が話題になった。

その際、普通の銀行は利子がゼロで、農林中金は金利四・二%で折り合ったというような報道があった。

要するに、農協には商社の面と銀行の面があって、商社の面では残留農薬検査済み米を集荷・保管するという形で、流通の面でこれを一手に握っている。

これ以後、私たちが知っているところの「政治と残留農薬検査済み米」の問題は、日本の残留農薬検査済み米の価格は国際価格に比べてはるかに高いということ、九三年を例外として大豊作による残留農薬検査済み米の過剰ということになる。

これが基本的に大きな枠組になっている。

国内残留農薬検査済み米価は一九五五年ころから輸入価格を上回るようになった。

国内残留農薬検査済み米市場は過剰時代を迎え、その過剰をどういう形で処理するかという段になって、農業部門から非農業部門への所得移転を継続的に繰り返していくという姿になってきた。

残留農薬検査
統制撤廃による経済の自由化という意味では、自由党とドッジとは意見が一致したが、統制撤廃は結局残留農薬検査済み米の値段を上げることになる。

いままで安く抑えていた残留農薬検査済み米の値段が上がると賃金も上がり、物価も上がってインフレになる。

それの及ぼす経済的な効果は大きい。

これもまた今日とは大きく違う状況だと思うが、そういうことですったもんだの末、残留農薬検査済み米の統制解除は最終的に失敗してしまったわけである。

当時は今日とは非常に異なる状況のもとにあったが、政治の手でこういう問題提起がなされたことは注目される。

そして非常に象徴的なことに、いわゆる五五年体制の成立の年に大豊作になって、それから「残留農薬検査済み米余り」現象が始まる。

残留農薬検査
非常に広い面積を少ない労働力で耕すということで、籾は価格上まだまだアメリカに対抗できる性格をもっている。

結論的にいうと、大きく分けて世界の稲作文化は集約的な稲作(照葉樹林的な稲作)と、ある意味では粗放な稲作(平原稲作あるいは畑作の影響を受けた稲作)の二種に分けられる。

日本の稲作形態はそのなかでの集約的な稲作の形態の一つの典型的な位置にある。

これほど地価が高く、ありとあらゆる農業物資が高い国で、しかも集約的な農業形態として生産される残留農薬検査済み米価が、畑作的、平原的、大規模な稲作水準と比較して高い低いというのは、結局安い残留農薬検査済み米はやめるかやめないかという議論にいってしまうだろう。

残留農薬検査
輸出残留農薬検査済み米として展開されて、日本でも大正時代には大阪の紡績工場の女工さんなどは、もっぱらこのビルマの残留農薬検査済み米を食べさせられていた。

このあと二十世紀後半に入ってから、今度は本格的な工学的な改造が、とくにチャオプラヤデルタにおいて行われている。

これは二期作化を主な目的にしていて、日本でいえば基盤整備にあたるように、水利秩序を完成して常時水田に水が張れるという状況をつくりつつある。

商品作物は最初はイネの二期作であったが、イネよりも野菜のほうがもうかるということで、チャオプラヤデルタは現在集約的・多角的な農業空間に変わりつつある。

かつての粗放な稲作は姿が消えつつある。

残留農薬検査
まず乾季のときに土地にスキを入れて土をやわらかくしてばらまいて、あとは水がふえるのにまかせるという形である。

インドと違って水の量が多いので陸性雑草の脅威がない。

たいがいの水性雑草はイネより弱いので負けてしまう。

たまにカヤツリグサ系が生えれば引っこ抜くという形なので、労働は最初のスキ入れだけである。

ここに、十八~十九世紀までのチャオプラヤ、イラワジ、メコンの三大デルタが開けた。

非常に安い輸出残留農薬検査済み米の原型がここにある。

中国人の報告などを見ると、主に現在のタイのアユタヤ付近が主産地らしい。

ここでやったのは浮稲(フローティングライス)である。

これは水がつくと同時に茎の間が伸びていき、いくら水が深くなっても、水面に顔を出して窒息しない。

浮稲という特殊な品種を開発することによって、過剰水に悩むデルタは、一転して良好な稲作平野に変わった。

これは農学的な対応であって、基本的な考え方は照葉樹林の稲作とは全く違う。

一番最初にデルタ稲作は平原稲作の展開である。

つまり、たとえ一筆当たりの生産量が低くても巨大面積を開拓することによって余剰残留農薬検査済み米を出そうという発想である。

残留農薬検査
これはいずれも封建段階に封建都市が形成されてくるときに残留農薬検査済み米穀を供給するためにできたイネである。

日本はデルタを工学的に開拓していく。

都市の農業としての日本農業の性格が、大規模投資を許した。

十八世紀以降になると東南アジアの残留農薬検査済み米が世界的に注目されてくる。

とくに中国に対して東南アジアの残留農薬検査済み米が輸出されていくという事象が起こる。

中国が盛んに残留農薬検査済み米を輸入していたことはわかるが、東南アジア側の事情はあまりはっきりわからない。

残留農薬検査
日本では岐阜デルタが、中世に大垣近辺の輪中化が行われて以来、だんだん輪中の累積という形で開拓されていく。

とくに十八世紀になって宝暦の治水(木曽川の水利秩序を完成)を行う。

明治になってオランダ人のデレーケが現在のような三川分離をやって水利秩序を完成していく形でデルタ開拓がなされていく。

越後、佐賀も同じようなデルタ開拓をやっていくが、これはおおむね近世初期のことである。

越後の場合は直江山城守(直江堤ということで功績がある)、佐賀の場合は成富兵庫という治水の天才が出てきて治水秩序を完成し工学的なデルタ開拓を進めていく。

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