一つは連作障害であり、もう一つは、ハウスなどの施設栽培が多いことである。

作物は、種類によって2年続けて同じ畑では作れないものがある。

それは、土壌から特定の栄養分を吸収するために、土のバランスが崩れるからだ。

2~3年なら大丈夫という作物もあるが、5年も6年もたつと、やはり土壌中の栄養分のバランスや土壌微生物の生態系は偏ってくる。

連作による障害が全くないのは水稲だけだという人もいるほどだ。

ところが、日本では、法律によって一部の作物と産地が"産地指定"で決まっていることもあって、連作障害が避けられなくなっているという事情もある。

各農家の所有する耕地が狭いために輪作がむずかしいこともあり、大げさに言えば、"わかっていても防げない"状況なわけだ。

連作障害を回避するためには、輪作をすればいいのだが、それができないときは、クスリをまくしかないわけである。


ホタルに限らず、多くの水棲昆虫は、それらの物質の影響を受けやすい。

毒性の問題もさることながら、洗剤などの界面活性剤が流れ込むと、水面の表面張力が変わる。

それだけでアメンボやミズスマシが水面での浮力を失って、そこでは生きられなくなったりもしたようだ。

油が水面に膜を張ると、それが水棲昆虫の体の気門(呼吸をする孔)をふさいで窒息死させてしまう。

江戸時代から終戦直後まで続いた「注油法」は、この原理を応用したものにほかならない。

また、昭和30年代には、魚介類に対しても毒性の強いPCPが水田や果樹園などで使われ、それが河川に流れ込んでさまざまな生物を殺してしまったのも事実だ。


ソテツの実に2%も含まれているサイカキシン、春先に季節の到来を告げるフキノトウに含まれているフキノトキシンも、かなり強い発ガン物質である。

自然界には、実に数多くの発ガン物質が存在している。

それらの中で、横綱級といわれているのが、「アフラトキシン」である。

こいつは、トウモロコシやピーナッツなどにつくカビがつくり出す物質だ。

他の発ガン物質に比べても、群を抜いて強い。

魚、鳥、ネズミなど、実験した全ての動物すべてにガンを発生させた実績をもち、発ガンに必要な量も、マイクログラム単位、つまり数PPbという微量である。

厚生省でも、食料品汚染を厳しくチェックしているが、何しろ、自然界で勝手に作られているのだから、始末が悪い。

たまにピーナッツなどから発見されて、大騒ぎになるのである。


殺虫剤は、虫を殺すから、人間にも有害じゃないか、と言われても、こまるんです。

ちゃんと使えば、虫は殺しても、人間には害がないように作ってあるのが殺虫剤なんですから。

それから、事故や事件(自他殺)は、これはモノのせいではなく、人間の問題です。

事故はなるべくなら起きないでほしいと思っていても、時によって不注意や何かの無理、よほど不幸な偶然が重った場合に発生する。

関係者は事故をなくす努力はしていますが、これを100%なくすのは難しいことです。

それは、交通事故や飛行機事故を考えればわかるでしょう。

一言つけ加えれば、ほとんどの自動車事故は、ドライバーの責任は問われても、メーカーの責任が問われたり、自動車の存在そのものがウンヌンされることはありません。

季節ごとに、絶対に時期をズラしてはいけない仕事が決まっているところが、今も昔も共通する農業の厳しさだ。

省力化、近代化と言っても、スイッチひとつで作物が育つわけではない。

ただ、炎天下で中腰の姿勢になって一日中、雑草取りをしたり、水稲であれば一本一本手植えをするような作業から解放された点は、労働の質を大きく変えたといえるだろう。

〇〇さんは、「だから、あの当時に比べると今は面積で3倍くらい作っています。人数も昔は4人、5人が農作業やってたけど、今は3人いれば多い方ですから、能率がすごく上がったということです」

もちろん、単位当たりの収量も飛躍的に増えた。

30年前と比べたら、少なくとも二倍以上にはなっているという。

こうした作業効率の向上と負担軽減、収穫量の増大を可能にしたのが、農薬であり、農業機械であり、これらの使用をも含めた農業技術の進歩だといえるだろう。


製茶工場は協同方式で運営

荒茶の段階でも、まだ水分は5%位残っていて、乾燥は十分でないし、形も不揃いである。

これを仕上げ加工にかけたうえで、茎や粉を選別して、やっとできあがりである。

これをブレンドして香味を調整したものが、茶箱に詰められる。

当然のことながら、かつては手作業で行われていたが、今はほとんどが機械化されている。

これだけの工程に必要な機械は、個人ではとても揃えられないし、効率も良くない。

各農家が協同方式で製茶工場を運営している。

掛川の製茶工場に所属している角皆さんと西川さん、製茶工場に属している鈴木さんに、農薬使用の実情を聞いてみた。

まず3人が口を揃えたのは、「農薬なしではお茶は作れない」ということだ。

「肥培管理きちんとすれば、虫は必ずつく」ということ、主力品種の「やぶきた」は炭そ病に弱く、そのための防除が必要なことが強調され、「無農薬は考えられない」という点で一致した。


福島市東部の岡山地区は、県内でも有数の野菜地帯である。

○○さんは、ホウレン草30ha、きゅうり17haなど野菜を56haと水稲40haの専業農家だ。

農業は○○さんで三代目。

30歳になる息子さんがいるが、「後を継ぐ気も継がせる気も」なく、農作業は繁忙期のごく一時期を除いて奥さんと二人。

「規模拡大して効率化したいとは思っているが、労働力には限界がある。いつまでもオッカアと二人じゃできねぇから、いずれいちご作りやってる人にでも貸すか」と考えている。

きゅうりは、約3分の1がパイプハウスでの栽培だが、これは、労働力を分散させるため。

「日中に収穫して、夜は箱詰めをやる。夜明けの少し前に仮眠して、明け方には出荷する。眠るヒマなんかほとんどなくなるんだ」

こういうスタイルでやっているから、農薬使用は不可欠だ。



農薬の経済効果

福岡県久留米市の南、このあたりは、徐々に基盤整備が進んでいるところだ。

水田だけで15haという、大規模経営をしている専業農家の方は、夫婦と甥の三人で、大部分の作業をまかなっている。

冬作の麦が30haもあり、ほかにたまねぎが1haあるから、年間、延べ36haということになる。

「農薬なしじゃ無理でしょう。規模拡大できたのも、除草剤があるからで、もし使うなと言われたら、2haがいいとこだな。昔はがんづめ使って、その他に手取り除草もやっとった。これはすごい重労働だから、もし人を雇っても、高い日当払わねばならん。コメの値段を何倍にもしなきゃでけん」

以前に比べて、農薬散布の回数が少し減ってきた。

一発除草剤や、殺菌、殺虫の混合剤が増えてきたためだ。

「適期散布しなきゃ、たくさんふっても効かん。適期にふれは、最も回数も減らせる。(一発剤など)新しい使いやすいクスリに代わってきたし、うまく使えば、(農薬は)本当に便利なものです」

この農家の方が年間に使っている農薬代は約百万円。

単位面積当たりにすると、多い方ではない。

これも、規模拡大による効果だ。

しかも、その金額の何倍もの経済効果を、農薬がもたらしているわけだ。

この点は、農薬問題を考える上で、けっして見逃してはいけないことだ。


小学校三年生の女の子にナゾナゾを出された。

「名古屋から東京まで新幹線で2時間です。東京駅から上野駅までは10分で、上野駅から仙台駅までは2時間です。さて名古屋から仙台まで何時間何分かかるでしょうか?」

「4時間10分」と答えて笑われる。

「飛行機で行くから1時間15分」が正解だという。

何とも可愛気のない答えだが、それはともかくとして、実際のところは4時間10分では名古屋から仙台まではいけない。

乗り継ぎのためにホームを歩く時間が必要だし、乗ってすぐに列車が動いてくれるわけでもない。

その分を計算したうえで乗る列車を決めておいても、最初の新幹線が遅れることだってあり得る。

農薬の開発も理屈通りには進んでくれないものだ。


慢性毒性試験の内容

実験動物には、通常の場合はラット、マウス、イヌを使う。

農薬原体をエサに混ぜて経口で投与を毎日続ける。

混ぜる農薬の濃度は、少なくとも三段階のグループに分ける。

急性毒性や、亜急性毒性の試験データを参考にして、たとえば、50PPm、250PPm、1000PPmの三段階というように決める。

飼育期間は、ラットが24ヵ月、マウスが18ヵ月で、これは、彼らのほぼ全生涯にあたる。

イヌは12ヵ月を目安とする。

飼育期間中は、エサを食べた量、体重の変化などを毎日観察して記録し、さらに一定期間ごとに血液検査、尿検査なども詳細に行う。

そして、たとえば3ヵ月、6ヵ月と一定期間後に、試験動物の一部を解剖して、臓器の重量測定、組織の顕微鏡検査なども行って、細かな観察データを時間の経過に合わせて作っていく。


残留農薬検査
ガンや、最近全世界で問題になっているエイズの治療薬は、一日も早く実用化してほしいところだ。

ところが、こうした医薬品の場合、ある化合物や抗生物質の有効性が発見されても、それがすぐに"薬"として実用化できるわけではない。

副作用があったり、患者の体質によっては効かなかったり、ということもあるので、それらについて詳細な研究データを積み上げなくてはならないためだ。

だから、新聞などで「○○に制ガン作用、△△大学グループが発見」などという記事が出ても、それはあくまでも試験管や動物実験での試験結果で、人間の治療に使えるようになるには、それから何年もかかる。

そして、最初は非常に有力だと思われていたものが、副作用が強かったりして、結局は薬にはならないこともある。

いや、むしろそういうケースの方が多いという。



残留農薬検査

これからは減農薬が課題

もともと後期剤は、条件に恵まれれば省けることも多かったから、除草剤一回散布と言っても、とくに珍らしいことではなくなっている。

これまで別々にまいていた殺菌剤や殺虫剤を2種類以上混ぜて一度に使う混合剤も増えているから、やっぱり回数が何回だとか、2回減らしたとかいう話は、あまり問題にならないことである。

有効成分の含有量ということになると、技術はもっと早いスピードで進んでいる。

20%とか30%も有効成分を含むものがふつうだったが、1980年代後半からは、これが0.5%とか0.25%と低量に変わってきている。

まだ、市場全体からみれば数はすくないが、「これから開発していくものは、有効成分量1%以下というのが常識になる」と断言する関係者もいるほどだ。

「減農薬」は、農家だけでなく、メーカーにとっても大きな課題になっているというわけだ。



残留農薬検査

防除暦(残留農薬検査)

単純に、農薬の使用数量と土地面積だけを比べても、あまり意味がなさそうである。

"必要最小限"という言葉が少しばかりクセモノだ。

今度は、その点をもう少し考えてみよう。

どんな作物でも、1年間の大まかな栽培の作業スケジュールは、あらかじめ決まっている。

その土地やその年の天候によって時期が多少ズレても、田植えは春だし、収穫は秋だ。

雑草が生えてきたり、病気や害虫が発生する時期も、だいたいのところ、検討はついている。

だから、農業改良普及所や農協では、「防除暦」をシーズン前に作成して、各農家に配布している。

「○月中旬には、△△剤を必ずまくこと」とか、「○○は発生に応じて適宜防除」などと書かれてあり、農家にとっては非常に便利なものだという。


残留農薬検査

ホタルの光

ホタルの光は、夏の夜の風物詩として、昔から日本人に親しまれてきた。

全国各地のホタル名所が姿を消していくのは、何とも寂しい限りである。

しかし、これを直接、農薬のせいにするのは、あまりにも短絡した発想だろう。

農薬がなく、病害虫が発生するたびに凶作にあえいでいた江戸時代から、ホタルの棲息地域が都市部(当時の)から、郊外へと追いやられた記録も残っている。

農薬うんぬん以前に、人家がたてこんだ結果として、ホタルの住める環境ではなくなってしまうということだ。

高千穂商科大学の見里朝正教授は、自然の生態系の問題について、次のように述べている。

「田畑や果樹園は、人間が食糧確保のために、原野や原生林を切り拓いてつくった人為的な環境である。農業そのものが、自然生態系破壊の上にしか成立し得ない宿命をもっている。水田をつくり、稲を植えたから、稲の病害虫が大発生するのである。水田をつくったことが人為的である以上、そのために発生した病害虫は、人為的に除かざるを得ない。そこに農薬の必要性がある」

残留農薬検査

農薬の管理(残留農薬検査)

ただ、誤飲などを防止する意味も含めて、農薬の管理をきちんとする必要はあります」

福田さんは、使い方で毒にもクスリにもなる例をいろいろあげてくれたが、X線の例をここに紹介しておこう。

「X線自体は非常にキケンです。発ガン性があって皮膚ガンを作る。しかし、だから使用禁止にしようとやめてしまったら、人類にとっては大変なことになる。X線のおかげで、数えきれないほどの命が助かってきたし、将来別の技術が発明されるまでは、これからも助けられるはずです。人類は、X線と上手に付き合って、害を出さずに利益を享受しているのです。農薬についても、是非そのように理解してもらいたいものです」



残留農薬検査

農薬は安全か聞いてみた。

この問題に詳しい、残留農薬研究所理事長の福田秀夫さんに話を聞いてみた。

「安全です。ある物が"安全だ"という時には、使おうとするものの性質をよく知り、その上で上手に使う、ということが基本であるはずです。それができれば安全だし、できない時には危険ということです。言い換えれば、安全性という言葉と危険性という言葉は、まったく同じことを右から見るか、左から見るかの違いだけなんです」

うまく使えば安全、と言っても時々事故が起ったり、自他殺に使われたりします。

「危険性というのは、農薬なら『農薬の持っている固有の性質(毒性)x農薬を浴びる濃度(暴露濃度)×浴びる時間(暴露時間)』で決まります。

毒性の強さはそのものの固有の性質です。

残留農薬検査
山武郡成東の山辺さんは、ネギを50haと水稲を97ha耕作している専業農家で、代々この地域の地主であったが、現在は奥さんと二人で農業をやっている。

ネギ作りの苦労は植え付けだ。

「ネギは、4万から4万5千本植え付けますが、その作業だけでも大変ですよ。最近は機械でやるから前から比べるとだいぶ楽になったけれどもね。だけど4万本以上植えて収穫できるのは3万本くらいしかない。例年3割方は減るのを見込んでいます。だから虫や病気が発生したら大変だよ」

出荷調整も大変な作業のようで、奥さんがていねいにネギの根っこを切り、泥もきれいに落としていた。

「消費者は、こうしないとなかなか買ってくれないので」と汗をふきながら答えてくれた。

「良いものを作ろうと思えば農薬をまかなければできないよ。

殺虫剤や殺菌剤を、1年間に15回くらいまくかなあ」

とくにネギの小さいうちに虫に食われてしまうと商品にならないそうである。

「健康のことを考えてマスクをつけるようになったけれども、農薬を使わないと商品価値のあるものはできないよ」


同じ成東の実川さんは、ハウスイチゴを20haと稲を80a作っている。

山辺さんと同様に奥さんと二人で農作業をやっている。

「ハウスイチゴは10年くらい前から始めたが、二人ではこれくらいの規模でちょうどいいところです」。

やはり作業が大変なために、規模も制約されるようだ。

「稲は農協の方でもいろいろ手伝ってくれるので、そんなに手間はかからない。だけどイチゴはそういうわけにはいかない。病気や虫も発生するし、受粉のためにハチの管理までしなければならないからね」

実川さんは、イチゴの品評会で、県知事賞をもらっている。

それだけに生産物の品質には気を使って作っているそうで、「ハチを放す時期は殺虫剤が使えなくなるので、開花前に十日に一度くらいはまいている」そうだ。

また、イチゴの大敵であるウドンコ病や灰色かび病が出たら、被害果は捨てるほかはないそうで、「ハウスの中だから病気のまん延も早いんです。一度出たらそのハウスの収穫はもう駄目だね」

被害を未然に防ぎ、収穫を確保するためには、農薬の散布はかかせないということだ。

「無農薬では、ハウスイチゴは絶対といっていいほどできないよ」

残留農薬検査


国際的にもWHOやFAOが「絶対に起こさない」という共通認識に立って、規制を行うことが確認されている。

具体的な法規制の内容は、各国の実情によって少しずつ違うが、関係者によれば、日本は先進国の中でも、最も厳しい基準が設定されているという。

まず、その制度から見ていこう。

作物に対する残留農薬の基準は二種類ある。

一つは、食品として流通する作物に残留することが許容される農薬の濃度で、「農薬残留基準」といい、これは、厚生省のナワバリ。

もう一つは、新しい農薬を登録する時に、その農薬の適用内容(対象作物、使用の時期、回数、量など)を設定するための数値で、「農薬登録保留基準」という。

これは、環境庁が農水省に対して示すことになっている。

農薬の残留 その1

| コメント(0)
農薬は、作物に残留することがある。

光にあたって分解して、全く残留しないものや、散布してから十日くらいは残留してしまうものなど、個々の化合物によってタイプは違う。

農薬の残留が問題になるのは、農作物を食べることで、たとえほんのわずかずつでも、人間の身体に入ってくるからだ。

その時には何も感じないとしても、長い間、農薬が残留した食品を食べ続ければ、10年後、20年後に健康がそこなわれることはないか。

あるいは、発ガンのキケンや、子孫への悪影響はないか。

これは、当然の心配だろう。

長期間にわたって、少しずつ摂り続けた時の悪影響-慢性毒性は、人類の将来にもかかわる問題である。

残留農薬検査
農繁期には、朝四時から、夜の八時まで畑に出ているというから、相当にきつい。

竹内さんは、地元の高校を卒業したあと東京の大学に入学、法律を勉強した。

卒業後も農業を継ぐ気はなかったのだが、25歳の時にふと、「農業やるのも悪くないな」という気になって帰ってきた。

お父さんから、最初に任されたのが防除の仕事だったのだが「春先に、注文した農薬が届くんだけど、これが150箱もある。これが全部秋にはなくなるわけで、大きな驚きでした。世間が騒ぐのも無理はないと思いましたよ」

一つひとつの農薬の種類、目的などを勉強して覚えたのだが、「ずい分散布回数が多いもんだという印象でしたね」と当時をふりかえる。

今は、「農薬は必要だ」と思っている。

作業の省力化 その1

| コメント(0)
サケの遡上で有名な十勝川流域には、十勝平野が広がる。

ワインの里・池田町や、今は廃線になった広尾線の愛国駅、幸福駅など、全国に知られる観光地も多い。

しかし、この広大な十勝平野は、約80%が火山灰地であり、土壌条件は決して良いものではない。

今日の、一大農業地帯を作りあげたのは、土地の改良を続け、寒冷地農業に挑んだ先人達の、血のにじむ労苦に負うところが大きいという。

竹内さんは、帯広市の東にある幕別haで、小麦、ばれいしょ、ビート、豆などを約27ha耕作している。

農作業の担い手は、奥さんと、お父さんを含めて三人。

「私が(地元に)戻ってきてから、約七haの規模拡大をしましたが、作業の省力化をしなければ、とてもやっていけません」

残留農薬検査
除草剤のありがたさは経験者にしかわからない

小野田h町より少し仙台寄りの大和町も、やはりいもち病の被害を受けた。

伊藤さんは、水田2.8haと、ネギ、ゴボウなどの畑を0.5ha経営しているが、例年の半分近くやられた。

このあたりでは、10アール当たり9俵から10俵(1俵約60kg)が平均収量だが、「たった6俵しか取れねエ。

人によっては2俵という話も聞いた。

それに、平年は取れたうちの9割が一等米だが、今年は半分もいかない」

から、収入面での打撃は大きい。

18歳で就農した伊藤さんは、もう50年のキャリアだ。

昔と比べると今は、「信じられないほど、農家の仕事は楽になった」という。

東北を襲った冷害といもち病の被害が、最も大きかったのは宮城県と福島県で、作況指数はそれぞれ、75と76だった。

とくに被害の大きかった地域では、平年の半分以下、4分の1などといデケースさえある。

東北農政局がまとめた統計によれば、88年の冷害の被害総額は、2233億円(北海道、関東なども含めると3654億円)で、このうちコメだけで1870億円を占める。

宮城県のコメが550億円、福島県のコメも433億円という膨大な被害だ。

この両県がササニシキを主力品種としており、このササニシキが、いもち病に特に弱いことも、被害が大きかった理由の一つかもしれない。

残留農薬検査
「大事なことは、使い方やまく時期を、決められたことをきっちり守ってやるかどうか。

自分達の身体についても、マスク防除衣を、指示された通り着用しているから、そんなに大袈裟に心配しなくていいと思っている」

十分な深耕や、堆肥などの有機物をたっぷり入れての土壌管理、勢定、受粉、摘果、袋掛けなどの樹体管理......。

桃作りにはさまざまな作業が必要だ。

その重要な一部として、適期適正な病害虫防除をはずすわけにはいかないようだ。

「苦労して、苦労して育てたものを、虫や病気にやられては元も子もない。

農薬なしでは、農業は考えられないね」

板野さんはもともと桃の専作だったが、農業経営上、それだけではリスクが伴うため、約2千平方mのガラスハウスで、マスカットとコールマン種のぶどうも栽培している。

ぶどうは、雨が降ると、べと病などの病害にかかりやすいので、ハウスにした。

農薬の散布は、マスカットが4~5回、コールマンが6~7回位、殺菌剤が中心だという。

「面積の少ない家庭菜園ならともかく、ちゃんとした規模で農業やるなら、農薬使わなきゃ無理だよ。

(虫や病気で)全部やられちゃうね」

無農薬でできますかーと聞いて、一笑に付されてしまった。

「桃だと、まず9割方減るだろうし、できたものも市場で売れない」

残留農薬検査
これまでの交渉に不案内な細川政権に対して農水省は不安を抱いていた。

農水省は細川首相周辺の判断でコメ問題の政治決断が行われた場合に、対米コメ交渉が混乱すること。

そのために国内で混乱が生じることを最も恐れた。

それはコメ関税化交渉の難しさを熟知している自由民主党にとって政権奪取のチャンスになり得る話だった。

コメの関税化問題を政争の具にされたのではたまらない。

それでは農政の歴史に一大汚点を残すことになる。

自由民主党と農水省との関係は深い。

自由民主党が野党に転落しているからといって軽視するわけにはいかない。

だからといって、細川政権をなおざりにして自由民主党と相談するわけにもいかない。

農水省の苦悩 その1

| コメント(0)
秘密交渉が露見すれば一関税化拒否という政府方針に背いた行為であり、国会等で激しい非難、糾弾の的となる。

公式の場で聞かれれば、水面下の交渉そのものを否定し、「関税化には応じられない」との政府見解を繰り返すしかない。

孤立した状況下で農水省の苦悩は続いていた。

1993年に米国のクリントン政権が誕生する。

これを契機に難航を続けていたウルグアイ・ラウンドが最終合意に向けて動き出す。

日本もウルグアイ・ラウンドを失敗させるわけにはいかず、その合意に向けてコメ問題の政治決断を迫られる事態となってきた。

折から日本では自由民主党の長期政権が倒れ、それまでの野党が連立して作った細川政権がウルグアイ・ラウンドの最終交渉に臨んでいた。

残留農薬検査
さらに昨年のコメの作柄は天候に恵まれた関係から豊作となった。

この豊作による生産量の増加分が供給過剰に陥らぬよう特別対策を実施した。

つまり過剰生産を避ける目的で約五万ヘクタールの水田の青田刈(コメが実らない段階で刈り取ってしまう)を実施した。

5月の田植えから文字通り、手塩にかけて育てた稲を豊作だという理由で青田刈りする農家の心境を考えると、苦痛の青田刈である。

すでに減反面積は一〇一万ヘクタールと全ての水田面積(二八〇万ヘクタール)の三分の一を上回っている。

工場で言えば操業率は六〇%前後である。

これでは稲作の規模拡大も、効率営農にも大きな障害となる。

コメの需給政策 その1

| コメント(0)
2001年度の目標値として、コメの供給量を一水準を一五〇万トンプラス・マイナス五〇万トンとした。

一六五万トンと設定し、適正在庫
さて、結果はどうなったか。

供給量は一一七二万トンも目標数量の近くに収まり、まずまずの結果となった。

在庫数量は一八六万トンとどちら
それではコメの需給政策は成功しているのか。

これがとんでもないのである。

ここまで結果が上々の数量に収まったのは、無理を重ねて生産抑制を実施したにすぎず、稲作農家の不満は強い。

さらに、供給量を抑制するために実施している減反面積は一〇一万ヘクタールと、稲作農家の許容範囲を超えてしまっている。

残留農薬検査
こうした政策を背景に、政策評価においては、具体的な目標として、
一、堆肥などの有機肥料の減傾向に歯止めをかける。

2001年度の目標値として、一〇アール当たり九四七キロの施用量を達成する。

二、化学肥料についても、減少傾向をさらに加速させる。


2001年度の目標値として、化学肥料の施用量を一〇アール当たり九・九四キロ(窒素分)に抑制する。

の二つを設定した。

さて、2001年度の結果はどうなったか。

有機肥料の施用量は九一八キロ、化学肥料の施用量は一〇〇一キロとなった。

有機肥料の減少傾向に歯止めがかからず、逆に化学肥料は抑制できなかった。

政策効果はマイナスである。

もっとも、これらのデータは大きくぶれる性格もあり、政策評価の手法も改善する余地がありそうだ。

環境に配慮した農業の振興は21世紀半ばの課題でもあり、手法の改善と同時に、有効な振興策が待望されている。

表題が回りくどい記述となっているが、要するに有機栽培農業の普及である。

世界的に石油化学系の肥料や農薬に依存する農業が環境破壊につながっているほか、農地の地力をも減退させている実態が指摘されている。

そこから日本でも、持続的な農業の発展を考えた有機栽培農業の振興の必要性が叫ばれるようになっている。

消費者の問でも、そうした意識が強まり、近年、割高でも有機栽培農産物を購入する消費者運動と、これに連携した生産者運動も広まっている。

農水省も、こうした運動を政策的に支援する対策を講じている。

具体的には、
・有機栽培のための施設整備の助成
・モデル地区を選定しての実証試験
・堆肥の製造設備助成や環境負荷の低い農業機械の開発
・民間企業の研究開発の助成
などなどだ。

残留農薬検査
ただし、過去を反省する意味で、やはり評価を振り返ることにする。

目標として、JAS法の認知割合を七割以上と設定した。

さて、結果はどうであったか。

目標のJAS法認知度は九二・七%と目標を上回った。

消費者はJAS法について、農水省が思っている以上に認知していたのである。

しかも食料品を購入する際に、食品表示を確認している割合が五割もいることが調査の結果判明した。

それだけJAS法は消費者から信頼されていたのである。

それにもかかわらず、BSE騒ぎでJAS法がザル法である実態が露見した。

これに消費者が驚き、失望したのは改めて述べるまでもない。

それだけ農水省の罪は深くて重い。

生産性の向上に代わって安い「国産食料」を作ってみせる。

農政の食料自給率向上策により消費者が「国産」表示の食料品を求めているのであれば、なおさらだ。

そして、じっと消費者の反応を見る。

また政府の取り締まりぶりを見守る。

取り締まりがおろそかだと判断するや、次第にニセ表示は拡大して行く。

「誰もがやっていることだよ」となる。

流通業者は日々、競争の中で暮らしている。

ニセ表示が競争の決め手となれば、良心との葛藤に長い時間を割くことはできない。

さっと行動し、さっさと売り切り、様子を見ることが肝要だと考える。

残留農薬検査
農民も反省すべき点である。

話が横道にそれたので、元に戻すことにする。

ウルグアイ・ラウンド合意後の農政は、農産物の貿易自由化という嵐の中で、日本の農業が国際競争力を強化して生き残り、自給率を向上し、国民に食料を安定供給しようという内容だ。

国際競争力を強化するためには、経営規模を拡大し、近代的な営農方式を普及させることが必要だというのである。

こうした思考方法は、1980年代に産業界が盛んに主張したことで
もある。

世界で卓越した国際競争力を持つにいたった鉄鋼、電機、自動車などの輸出産業は巨額の貿易黒字に対する海外からの風圧に耐えかねて、農政批判を強めた。

欧米でも同様の現象が顕著となり、議会制民主主義の堕落として問題になっている。

また、自由民主党議員の中で、農村人口の減少と選挙制度の改革や選挙区の再編などにより農林族議員が減少していた。

首相候補と見られる有力議員は、たとえ農村出身者でも
『悪貨が良貨を駆遂する』ように、「先生は偉くなったのだから、そろそろ卒業されたらどうですか」と嫌みを言われながら農林族から排除されていった。

こうした族議員減少の中で農林族議員の主張は先鋭化した。

農民サイドも穏健な主張よりも強硬意見を述べる議員の活躍に期待した。

こうした農民の危機意識が鈴木議員らの活躍を助長した側面もある。

途上国にこのような報復の武器のないことが,先進諸国のガット違反措置の横行を許してきた,との指摘もある。

その他の要因には,もっと現実的な問題も含まれよう。

ガット提訴を行なうためには,ガットに相当精通した法律家が必要であるし,訴えの準備とパネル審議等に人手とコストがかかる。

大多数の途上国には,このような法律家が少ないし,また,コストを支払う余裕がない。

ガット事務局は途上国の提訴について技術的援助を与える用意があるが,これを利用する国は少ない。

以上の要因を米国やECについてみてみると,なるほど両者が提訴をひんぽんに行なう事情がよく読める。

訴訟に関する整った国内の法制度や積極的なアブR チ,過剰なまでの自負心,大市場を擁してのバーゲニソグ・パワーの大きさ,報復の能力,多数の法律家の存在など,条件はそろっており,これに政府当事者の強い意思が加われぽ,ガット提訴を阻むものは何もない。


第4の要因として指摘されているのは,提訴国と被提訴国との相対的な力の差である。

たとえガット提訴の結果勝訴するとしても,相手国にパネルの勧告を実施させるためのテコを有していなければ,同勧告は現実にはなかなか実施されえない。

ガットにはこの実施を強制的に確保するような手段はなく,理事会での議論を通じて国際的な政治的圧力をかけつづけるか(これは後にみるようにかなり有力な武器ではあるが),あるいは提訴国に報復措置をとることを承認するしか手立てがない。

多くの途上国には,このような報復措置をとろうにも,そのための武器がない。

報復措置が有効であるためには,相手国から相当の輸入があって,これを制限することが相手国に痛手を与えるということでなけれぽならない。

紛争処埋機能の強化257ために,貿易相手国からの攻撃にさらされやすくなっている,との短絡的な結論を導きやすくしてきた。

さらに,ガットからみて,日本がガットに提訴して然るべきと思われるケースなのに提訴が行なわれず,各国に不思議がられたケースがある。

たとえぽ,1987年,米国が日米半導体協定の運用に関連して301条制裁措置を日本に対して発動した際,ガット理事会での日本の対米非難発言はきわめて強硬であった。

「すわっ,日本はパネルに提訴か」との印象を多数の国がもった。

しかし,結局日本はパネル設置までは求めなかった。

「なぜこのような明白なガット違反措置を,ガットに訴えて撤回させないのか」という声が,ガット事務局内でもしぼしば聞かれた。

「防戦一方で攻めない日本」もはやこのようなイメージが,かなり広範囲に定着しているといっても過言ではあるまい。

このようにして通知された名前は非政府系パネリストのリスト(ashort roster of non-governmental panelists)を作成するために使用される。

上記リストについては締約国団により合意されるものとする。

(ii)事務局長は政府関係者から成るパネルを従来からの慣例に従い提案すべきであるが,(i)の手続きにより作成され締約国団に承認されたリストから適当な人物を選ぶこともできる。

紛争当事国はこのような事務局長提案に対し応答する資格は有するが,やむを得ない理由がある場合を除きこれに反対すべきではない。

紛争案件が締約国団に付託されてから30日がたってもパネルの構成で合意がみられない場合には,紛争当事国のいずれかの要請のもとに,また理事会議長との協議をふまえて,事務局長が非政府パネリストのリストから人選することによってパネルの編成を完了し,行き詰まりを回避することとする。

紛争解決のスピードを早めるために,1979年の「了解」は,パネルを理事会での決定から原則的には30日以内に設置すべきとする一方で,ガット事務局長によるパネリストの人選について紛争当事国は原則として7日以内にこれを受け入れるかどうかを返答しなければならないこととした。

しかもその返答の際にはやむを得ない理由がある場合を除き,事務局長の人選には反対しないこととなっているが,実際にはこれがいつも守られていたわけではない。

パネリストの問題がパネルによる紛争処理の遅延要因となることを避けるために,1984年11月のガット総会では次のような決定を行なった。

(i)各締約国はそれぞれがパネリストとしての資質を備えていると考える非政府系の人物で,国際貿易について高度の知識を有し,かつガットについて経験をもつ者の名前をガット事務局長に通知しなければならない。